二の矢を持たぬこと

二の矢を持たぬこと

或る弓の道場に、弓を習いたいとやって来た。見ると二つの矢をたばさんで的に向かっている。道場の主がそれを見て、「初心の人は二つの矢を持たないほうがよろしい。後の矢を頼んで、初めの矢になおざりの心がある。毎度、ただこの一矢と定めて置けば得失がないものじゃ」。この言葉は万事にわたる面白い教訓である(武道初心集)、という話しがございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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加藤右計

加藤右計

明和のころ加藤右計という柔術の達人がいた。ある時、柔術家に試合を望まれた。「それは無用なことだ。柔術の試合は最後どちらかが死ぬよりほかはない」。どうしてもというから立ち会った。その男、組み付くと直ぐ投げられて、壁を打ち抜いてその身は外へ飛び出して、即死。「是非というから立ち合ったがこのざまだ。だがこの男もたいしたもので、投げた時、当身で拙者のあばらを打ち砕いている」と肌をぬいで人に見せたところ、肋骨が一本折れたいた、という話がございます。「甲子夜話」より

本多青仁斎靖邦のひとりごと

合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」
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針の妙術

針の妙術

上遠野伊豆という人があった。武芸に達した上にわけて独流の手裏剣を工夫してその妙を極めていた。その方法は針を二本、中指の両側に挟んで投げ出す。思うところに当てないということはなかった。この妙技、この人一代だった。「元来この技は人に教えられたことではないから、何と伝うべきか由もない。ただ、根気よく二つの針を手につけて、打ってる間に、自ずから自得したまでのことである」、と云った… という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年2月11日

合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」
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第32回剣術・杖術講習会の講習風景









宮本武蔵 日本剣道史

宮本武蔵 日本剣道史

宮本武蔵がある夜、庭の涼み台に腰を掛け、団扇を持って涼んでいた。そこへ門弟の一人が武蔵の腕を試そうとして、不意に短刀を提げて涼み台に飛び上がって来た。その瞬間、武蔵はツト立ち上がりざま、ゴザの片側を掴んでぐっと引き寄せた。弟子はまっさかさまに倒れて落ちた。武蔵は何も騒ぐことなく平然としていた、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年1月19日

合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」
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宮本武蔵 古老茶話

宮本武蔵 古老茶話

宮本武蔵は豊前小倉で佐々木眼柳という剣術使いと同船した。試合のことが申しだされた。武蔵は櫂を持って岸に上がる。眼柳は真剣を持った。武蔵は眼柳が横になぎってきたので飛び上がった。武蔵の皮袴の裾が1寸ばかり切られた。武蔵はその瞬間、櫂を振り下ろして打ちひしいた。その時からその島を眼柳島と名付けた、と「古老茶話」という書物に書かれている、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年1月9日

青葉塾道場機関紙「あしなみ」
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宮本武蔵 五輪の書

宮本武蔵 五輪の書

宮本武蔵、自身五輪の書の序に記していう。「我若年の昔より、兵法の道に心をかけ、十三にして初めて勝負をなす。その相手、有馬喜兵衛というものに打ち勝ち、十六歳で但馬の国秋山という強力の兵法者に勝つ。その後、処々の兵法者に出逢い、六十有余まで勝負すと雖も一度もその利を失わず。その程十三より二十八、九までのことなり。その後も朝鍛夕錬して、自ずから兵法の理に達したのは、五十歳のころなり」。剣の道を究める自身の修行を書き残した「五輪の書」というのが今でも読まれ続けている、宮本武蔵という剣豪の逸話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成29年12月25日
第12回青葉武道演武大会

第12回青葉武道演武大会



青葉武道演武大会

平成29年11月23日(祝・木) 
青葉台中学校 道場


青葉武道演武大会は合気道青葉塾道場の創立記念日の11月23日(祭)に、2006年から始りました。今年は第12回目になります。明府真影流手裏剣術、柳生新陰流、柳生心眼流体術が参加しました。

あおばタイムズ映像ニュース(http://www.ningenkobo.com)で中継。


青葉武道演武大会 
主催合気道青葉塾道場
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第12回青葉武道演武大会

第12回青葉武道演武大会

青葉武道演武大会

平成29年11月23日(祝・木) 
青葉台中学校 道場
12時より

青葉武道演武大会は合気道青葉塾道場の創立記念日の11月23日(祭)に、2006年から始りました。今年は第12回目になります。古武道の団体に呼びかけました。明府真影流手裏剣術、柳生新陰流、柳生心眼流体術の参加の予定です。

あおばタイムズ映像ニュース(http://www.ningenkobo.com)で中継します。


青葉武道演武大会 
主催合気道青葉塾道場
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天下の許し

天下の許し

板倉甲斐守は渋川友右衛門に柔術を習っていた。「わしはそなたに柔術習っているが、当身というものがあって四五年も習っていれば自由に投げることが出来る、と聞いてるが、そなたは何も教えてくれないが、どうしてか」と聞くと、「ご不審ごもっともですが、しかしながらまだ修行が足りないのです。この当身というのは腕ずくの力技ではありません。四書五経、などおさめ読むというのも修行です。允可、というものは師が授けるもの、それは師匠ぎりのもので役には立ちません。世間の人が許してこそ、天下の許しというものなのです」これを聞いて甲斐守、「柔術というものはむずかしいものだな」と言って、その後は何の話もなかった、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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平成29年11月10日


三年先の稽古

三年先の稽古

相撲の世界ではなるほどと思わせるいい言葉がある。「三年先の稽古」というもの。目先にとらわれず基本をしっかり身につけろ、ということだ。稽古の出典は「書経」で、「古の帝堯を稽(かんが)ふるに…」というところから出ている。稽古はそこから「昔の」ことを考える、学問をする、学習をする、考えて積み重ねる、となった。武蔵の言葉に「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」というのがある。相撲界のある重鎮の言葉、「相撲取りの身体は一種の芸術品だ。ただ、それは出来上がったすばらしさだけでなく、作り上げるまでの厳しい稽古、鍛錬、それを見るべき、だろう」(大相撲こてんごてん 半藤一利著)という、稽古の話があります。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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平成29年10月20日




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